生徒さんがちょっと遅い弾き初めに来ました。
生徒さんとの会話の中で「早く曲を覚えるには・・・」というよくある話のなかでいつも答えることは……
自分の三味線と早く親友になる。
そして三味線を自分の身体の一部にする事。
・・・・・・?
特に新人さんは三味線という楽器を使って三味線で弾く楽曲を覚える・・・という考え方からスタートします。
三味線が少しでも自分のいうことをきく様になり、更に三味線が自分の身体の一部になれば後は楽譜や耳だけで曲を覚えていけるわけです。
当たり前の事の様で実はそうでない場合が多いですよね。
新しい楽曲を持ってこられると教わる方は突然構えてしまいその三味線は突然自分が扱う楽器と変してしまう。
ようは自分自身と三味線との距離感が出てしまう。
これが新人とベテランの差ですね。
その差を少しでも広げて欲しくなく三味線が上手でもそうでなくてもいつも三味線とは自分の身体の一部でいること…と、話してます。
「自分は三味線下手だから・・・」
と、言ってたら本当にそうなってしまうよーって思います。
で、まずはメンタル面から指導してました。
そんなこんな話の中で昨年天国へ旅立った生徒さんとの数年前の会話を突然思い出しました。
「〇〇さん、ホントに三味線好きなんだよね〜。」
「オラァ年とってしまって足腰も弱くなって歩くのもゆるぐない(ままならない)。三味線たなって(持って)歩くこと出来なくなってきたから次から娘に持ってきてもらう〜。それでも先生、体がいうごときかなくても三味線持てば民謡ちゃんと弾けるし三味線仲間とお茶飲みながらいっぱい笑っていられるから好きだよ〜。」
三味線歴40数年のおばあちゃんとの会話です。
深いよね・・・・。
そしてその方は三味線一丁と共に人生の半分以上を歩んできたわけです。
ついでに何となく自分の小さい頃思い出しました。
まだまだ三味線が三味線という楽器で自分の身体に馴染んでない小、中学校の頃いつも枕元に三味線置いてました。そして三味線と一緒に布団に入ったこともありました(バカ)
これって今考えるとかなり恥ずかしいですね(笑)
よく爺ちゃん婆ちゃん家にお盆休み、正月休みで泊まりに行く時もいつも三味線が一緒で別にひろげる用事がなくても常に自分の側から離さなかったんですよ。
大人になっても車のトランクにいつも積んでて皮が裂けて太鼓を修理してる最中も何故か棹だけ持って歩いてました。
そんな自分の三味線は相棒になってもう18年かな?いまだにメイン三味線として健在です。
前に棹の修理に出したら主治医に言われてしまいました。
「黒澤さんの三味線の棹が細くなってきましたよ。しかも今ではもうデザインが古くてこのタイプの三味線なかなか出回ってませんよ。」って。
ハハハ、それはしょうがないですね。
でも今日に至るまで自分と一緒に喜怒哀楽を共にして頑張ってきた三味線、「棹折れるまで弾くよー!」なんて言ってみました(笑)