2011年6月5日日曜日

迂回。。

今日は無事に宮古市での作業を終え釜石市まで海岸沿いを南下して遠野市のお弟子さんに久々に会ってきました。


釜石市へ行き前回中々入る勇気がなかったうちの三味線レッスン会場である鵜住居地区災害センター二階の部屋…

あれからずっと引きずってました。


三味線弾いてて気持ち良い部屋、短期間でもお世話になり、しかもその二階は大変な数の犠牲者が出てしまった所。

周辺は全く人影もなく瓦礫に囲まれた所で海も近い。片付けもなかなか進んでいなく本当に静かでした。そして思い切って瓦礫と化した二階へ単独で登り大部屋、小部屋等各部屋を見ました。

全く当時のままなんでしょうか…遺体収容のみのままなんでしょうか…あれから時間が止まってるかの様でした。

そこには長テーブルと花、線香、飲み物など供え物がありました。

そのテーブルの下にはその部屋で亡くなった方々の大人の靴や子供の靴に名前入りの袋、小物入れ、腐ったサンドイッチに熊かパンダの泥だらけの人形。


もう言葉が出ませんでした。


勿論、線香持参で一階、二階と献花台で拝ませて頂きました。


やはり苦しくても行くべきでした。


行くべきだったんですね。


しっかりこの目に焼き付けて来ました。

あの部屋の光景は一生涯忘れる事ないでしょう。


記憶から消してはいけないと改めて思いました。