2011年2月27日日曜日

昨日の公演で…

昨日は渋谷にある美竹の丘(多目的ホール)で渋谷法人会女性部会エンジェルス主催による介護セミナーで医学博士の芦刈伊世子さんと講演&公演会でした。

午前中のうちにリハで入り主催の方々に挨拶。

・・・・・・でエンジェルスの皆さんはどちらに?


渋谷のエンジェルスですからね〜。。

どんな方々なのか気になりますよね。。


で、思い切って尋ねました。。

「あのー、主催のエンジェルスの方々は・・・?」


「・・・・・・・私達です。」


「えっ!?」


「法人会女性部はみんなエンジェルスです!」


「はぁ・・・・そうでしたか。」


たしかに数十年前はエンジェルだったかもしれませんが・・・・(汗)


でもノリノリの良い感じのおばさま方でしたよ(笑)


しかし驚いたのはその後でした。


たまたま同じ階の誰でも見ることが出来る展示室があり覗いてみた。

昔の渋谷の写真や資料が展示されていてふとある写真にひかれた。

この美竹の丘は昔「旧区立渋谷小学校」だったらしい。


で、その学校では戦時中、色々地方に疎開していてその中の写真に最後に行った疎開先が青森県北津軽郡金木町であった。昭和20年(1945年)8月に金木町の金木川での水浴集合写真。

これを見た瞬間「呼ばれて来た。」


素直にそう思いました。。

この写真に写ってる生徒の顔を見てたら泣けてきました。戦時中怖かったんだろうな不安だったんだろうなって。

戦争終わって渋谷に戻って焼け野原見たんだろうなって。

こんな小さい体で当時は何を思って生きてきたんだろうって。辛かった、苦しかった何て言葉では勿論表現できませんよね。


当時金木町へ行き金木川で泳いだ方々、勿論ご存命の方もいらっしゃると思いますが既に天国へいる方もいらっしゃると思います。


昨日はそんな方々への御供養を兼ねての演奏でした。


で、渋谷区区長さんも一緒で講演会前にその写真の話をしました。


とっても驚いていましたね。

「ご縁ですね〜。」と。

ところがその後講演会の区長の挨拶で・・・

「現在の介護について・・・・・・・(省略)・・・・・であります。今日は津軽三味線の黒澤さんがいらしておりましてこの方は昭和20年に旧渋谷小学校に在学中青森県の金木町に疎開をしていてその写真がここの展示室に写真として残されております。」


「なぬっ!?」


会場では全員「???」


区長さんしっかどへ〜。。。(笑)


当時を生き抜いて現在も津軽三味線奏者で・・・・・ってどんなスーパーおじいちゃんなんでしょうかね(((^^;)