2011年4月4日月曜日

小春日和

今日は天気もよくてフラッと外出。


18才の頃からおよそ10年間通った道。

この山からどんだけ元気もらったかな。どんな逆境にも負けないでいつも同じ姿で四季を通して色んな見せ方をさせてくれる。

10数年前に1回だけ機嫌悪くして噴煙上げたことありましたが…


津軽は津軽富士「岩木山」

僕の所は南部片富士「岩手山」そして東側には「姫神山」。自宅はちょうど両山の真ん中にあってスタジオの東西には山が見える。

そういえば小さい頃からこの二つの山は「夫婦」と言われていましたね。

20才前にこの二つの山を登山しました。1回だけ下山中に足を骨折した登山者を救助しに行ったことあった。しかも僕の伯父さん(汗)

色んな思い出あるな〜。。っていうより色んな体験ばっかりしてるかも…


色々経験して数年、数十年経って「あの頃は・・・」なんて言うものです。

僕はちょうど震災前にこんな調べものしてました。


昭和45年6月から約4ヶ月間、旧渋谷区の小学生が現青森県五所川原市金木町へ疎開していたと…

子供達は変わり果てた焼け野原を見て自分達の住む町を復興させ今の様な都会へ急成長した。

焼け野原の写真と津波で被災した街並みはほとんど変わらない。

でもあの頃の時代と今の時代は全然違う。

全世界から復興支援、応援、義援金が沢山日本に送られ、あの頃とは比べものにならない程の早さで復興出来ることを望みたいですね。

これで世界が深い絆で結ばれてくれれば・・・と、思ってますが数ヵ国から日本へ出されている"カード"も今後どう影響していくのかわかりませんね。
日本にとって不利な事ばかり…


でも例え先がどうであろうとも少しでも早く皆が元気になる様に微力ですが頑張らないと。

元気な人が落ち込んでいてはダメですね。

犠牲になった人の分まで長生きして欲しいし幸せになって欲しいです。

亡くなられた方々だって天国から心配してるし応援してる。

元気な人が踏ん張らないといけないですね。

そんな気持ちで今日も天国へ向けて津軽三味線弾きます。